(4)「二十六聖人」三木パウロの父、三木半太夫

地域の発展を心から願っておられた故神田宏大先生より当ブログへの掲載のための協力と許可をいただいたものです。

 

4 「二十六聖人」三木パウロの父、三木半太夫

 

三好長慶の武将

一五六三年に飯盛城で洗礼を受けた七十三名の武士団の中に三木半太夫がいます。彼の出身は阿波国とも淡路島とも言われています。

一五六一年から翌年にかけて、篠原長房が阿波から淡路勢を率いて近畿に進出した時、摂津、河内方面に出陣し、飯盛城において三好長慶募下の武将として活躍しました。

彼は大名でも城主でもありませんでしたが、洗礼を受けた当時も三好軍の優秀な武将として阿波勢に属して武功を立てていました。

 

結城弥平次との友情

四条畷岡山城主、結城ジョアンの叔父であり、後見人でもあったジョルジと呼ばれた結城弥平次が、一五七〇年九月に古橋の砦(門真市)に用事で来ていた時、二千五百名程の四国勢に攻められて砦がたちまちにして陥落寸前になりました。

その時、馬上にいた四国勢の三木半太夫は、弥平次の頭上に金色に鍍金した”JESUS”

(イエス)と大きく書かれている兜を見て、大声で、「汝はキリシタンなりや」と声をかけました。それに答えて結城弥平次は、「我こそはキリシタンにして、ジョルジ弥平次と申す」と答えました。三木半太夫は主にある兄弟として自分の鎧の上に着ていた虎皮の外套を脱ぎ、弥平次に抱きつき、それを着せて、彼を自分の馬に乗せて戦場から救い出しました。この戦いは古橋砦のほとんどが殺され、河内の岡山や三箇にいた彼の母や妻、親戚の者が駆けつけた時には首のない胴体が散乱していたとフロイスの『日本史』には記録されています。

 

三木半太夫が戦国時代の大変革の中で不幸にも封禄を失った時、彼によって助けられた結城弥平次は、彼と彼の妻子たちを扶養して昔の恩義に感謝と謝恩の気持ちを表した事も記録されています。

 

奈良の鹿を食べる

彼の武将としての蛮勇は、奈良で布陣していた時に、春日大社の鹿を捕らえて、部下たちにふるまい、自分のいのちを危うくしたり、西宮恵比須神社で、牛の像の上から放尿したエピソードもあり、顰蹙を買うような事をしてしまった事もありました。

三木半太夫の蛮行を見ると、「これだから大名にも、城主にもなれなかったのか」

と思ってみたりもします。

 

三木半太夫の行動の今日的意義

西宮恵比須神社での放尿も、春日大社の鹿を殺して食べた行動も、中世の意味のない権威に対する盲従ではなく、単なる鹿であって人間が鹿におびえながら、また偶像におびえながら生活する愚かさを、自らの行動を持って示した蛮行でもありました。当時、春日大社の鹿は人間の命よりも大切にされていました。もちろん四つ足の動物を殺して食べる事も忌み嫌われていた時代に、彼の行動は新しい時代を告げる試みであっても、やはり、勇み足だったと思います。西宮で生まれた私は「恵比須神社」での行動にびっくりもしますが、偶像に力があると信じていないので、「罰を当てるなら当ててみろ」との思いからしたのではないかと思われます。

今日、「天皇を中心とした神の国」のムードが広がり、靖国神社問題が加わり、日本の国が再びこれらの権威を作り上げ、再び軍国主義への足固めをしている時代にあって、中世の権威を潰し、近世へと歩み出そうとした田舎者の武将の姿を見て苦笑してしまいますが、何か私たちが失った、「真の神様」への情熱を奮い立たせる所も感じられます。

 

三木半太夫の戦死と、息子の三木パウロ

彼の武将としての活躍は、信長に仕えて大きな手柄を立て、信長から書状と報賞を受けた事もありました。信長が殺された後は秀吉に仕え、一五八六年、秀吉の九州平定の時に豊後で戦死しました。

彼の末喬が今も高松に住んでいますが、信長から三木半太夫に宛てた書状は家宝として今も大事に保存されているそうです。

 

三木半太夫を知らない人も、長崎を訪れた方は長崎西坂で処刑された『二十六聖人一の殉教の地へ行ったかもしれません。そこにある「二十六聖人殉教記念館」で、秀吉の弾圧によって京都で捕らえられ、ここで処刑され殉教した、『二十六聖人』の日本人の代表であった三木パウロの名前を学んだ事でしょう。

親子二代の河内に生きたキリシタンとして、三木パウロは神の栄光を現す人生を選び殉教しました。

河内のキリシタンが人を恐れず、全能の神だけを畏れて生きてきた事を三木親子は証明しています。この親の生き方を見て、息子の三木パウロは迫害も死も恐れず、イエス・キリストのために命を捨てた事を少しは私たちも理解できると思います。

 


河内キリシタン人物伝

目次

推薦文

はじめに

一 盲目の琵琶法師、ロレンソ了西

二 三箇城主、三箇頼照サンチョ

三 若江、八尾城主、池田丹後守教正

四 「二十六聖人」三木パウロの父、三木半太夫

五 河内に福音をもたらした四条畷岡山城主、結城左衛門尉アンタン 

六 河内で最も美しかった「砂の教会堂」 

七 結城弥平次ジョルジ 上 河内キリシタンの落日と広がり 

八 キリシタン迫害の始まり 秀吉の「伴天連追放令」

九 小西行長の信仰と行 動

十 結城弥平次ジョルジ

十一 元和大殉教の勇者、三箇アントニオ

十二 近畿最後の宣教師、デイオゴ結城了

十三 三箇城跡に立って

あとがき

参考引用文献

筆者神田宏大(かんだひろお)プロフィール